絵に描いた餅だけ食べたかったけど今は棚からぼた餅でもいいと思ってる

節度を守らず書きたいことだけ。汚い感情も整理して書いておく自分のためのブログ。

それが救いの物語だから私は中村文則さんを好んで読むのだと思った話

※前半は読書の話、後半がSixTONESの話です。久しぶりにブログ書いたら意味わかんないくらい冗長になってしまった。

 

最近めちゃくちゃ心と身体の調子がいいです。ハピハピ~って思いながら毎日寝れてるうれし~~。

少し前から週3,4回運動するようになったんですけど、そっからすごい調子よくなった。身体だけじゃなくて、脳みそとか心のキャパも広がった感じがします。

だから小説も読めるようになりました。うれしい。

 

だんだんわかってきた私パターンでいくと、疲れてくる→這うような気持ちで本屋さんに行ってハードカバーどか買いして配送お願いして(だいたいどこの本屋さんも1万超えると配送してくれる)帰ってきて、読む気力はないから結局積読がたまる→そして無力感にさいなまれ、仕事クソ、この世もクソクソのクソ、と罵詈雑言を放つ→だんだん怒る元気もなくなってくる、がヤバルートへの系譜だったんですけど、それが断ち切られた感。

 

仕事の感情を家に持ち込むことがなくなりました。いったん運動でリセットされるから。すっごい楽。幸せ~~って思う。

 

そんなわけなので、昨日中村文則さんの『その先の道に消える』を読み終わりました、という記録を残しておこうと思います。本を読むってやっぱり普段使わない脳みそがぎゅんぎゅん回ってる感じがしてたまらなくてやめられない。

あと、全部わかろうとしなくていい(作者の意図なんてわかるわけない)と思えるからそれがとても心地いい。現実世界だと、どうしても相手や物事を「わかろう」としてしまうので。

相互理解なんて存在しえないのに、だからこそいいのに、結構な頻度で自分のものさしに無理やりあてはめたり、わかった気になって仕事しちゃうので、これは自戒の意味も込めて書き残しておこうと思いましたまる。

 

そんでもって『その先の道に消える』のあとは『カード師』を読みたくなって、部屋の中ひたすら探したんですよ。埋もれてて全然見つかんないの。しばらく探して、そういえば朝井リョウさんの『正欲』と一緒に買ったぞ、と思って付近の本を掘ったら『カード師』でてきた。やった、と思ったけど、そこに至るまでに町田そのこさんの『52ヘルツのクジラたち』3冊出てきちゃったよ、それぞれ別の場所から。もれなくすべて積読です勘弁してくださいストレス社会にやられすぎよ過去の私、と思うなどしました。

 

 

 (これ、ジュリタナカさん絶対好きだと思うんだけど読んでくれないかな、とめっちゃ思いながら買った。田中さんとは別のベクトルで(完全にファンタジーの1ジャンルとして楽しみそうという意味で)京本さんも好きそう。こうちくんとか松村さんは作家さん的にあんまり好みじゃなさそう。ジェシーくんも暴力とか理不尽とかにダメージ受けちゃいそうなので避けるだろうなと思う。たろぴは読まないで、というか読んでも内容許せなそう。好きな話じゃないと思う※勝手なイメージ)

 

■『その先の道に消える』中村文則

 

 なんか私、中村さんの本買うと最初に冒頭と結末読んで、文庫だったらあとがき読んでから内容に入るんですけど、毎回あとがき読んでたまらない気持ちがこみ上げて泣きそうになるんですよね。本が読めて幸せって思う、この人の本読むと。

 

なんでかなあと思ってたんですけど、この本読んでなんとなく理由がわかった気がしています。あくまで自分の中の理由ですけど。

 

茶店で読み終わって、駅まで歩きながらふと「これは救いの物語だったなあ」と思ったんですよね。それでもって、中村さんが救いの物語を描いているなら伊坂幸太郎さんはきっと正義と幸福についての話をしている、そんなイメージがあるなあと思い。

私は「残念だけど神はいないよ」と作中の文章で言われたとしても、中村さんの物語にうすもやがかった光のような救いを見出してしまうから、今の今読みたい作家さんが中村さんなのかもしれないなあと思ったりしました。

(伊坂さんの作品は1人で過ごすクリスマスに読みたい感じ。そこに幸福があると信じて疑わない作風が好きです。登場人物皆、孤独ではないし絶望していないところが特に大好きで、私はボブディランが流れるコインロッカーや、重力に逆らう縄の上のピエロにめちゃくちゃ勇気をもらって生きてるタイプの人間でもあります)(『逆ソクラテス』はちょっと刺さりすぎて読むのしんどかった)

 

 

■あらすじ

アパートの一室で発見された、ある“緊縛師"の死体。重要な参考人として名前があがる桐田麻衣子は、刑事・富樫が惹かれていた女性だった。疑惑を逸らすため、麻衣子の指紋を偽装する富樫。全てを見破ろうとする同僚の葉山。だが事態は、思わぬ方向へと突き落とされていく。犯人は誰か。事件の背後にあるものとは、一体何なのか。やがて、ある“存在告白"が綴られた驚愕の手記が見つかり――。

 

これ、ミステリーの側面もある文学作品だと私は思うんですけど、作中全体にただよう雰囲気が私はすごく好きです。

 

人は結構あっけなく死ぬし、複数死ぬんだけど、なぜだかそこには祈りや救いがある。これは中村文則作品の特徴だと思うんですけど、その「あっけなく訪れる突然の死」を絶対ぞんざいに扱わないから私はそこに救いを見出してるんだろうなと思います。

 

(ちなみに過去、自分で買って後悔してもう触れなくなるくらいトラウマになってる本があって『彼女は存在しない』って本なんですけど、なんかもうあらすじとかは記憶から削除されてて、ひたすら赤いイメージだけ残ってるんですけどほんと無理だった、なんか読みながらひたすら「これはおかしい、胸糞わるい」って怒って傷ついてた思い出。本の破壊力にやられて2日くらい具合悪かった読後。これがあったので「イヤミス」ブームにも乗れなくて、湊かなえさんも真梨幸子さんも1つも読まずに生きてきたな、と思い出しました。今回、救いの対局にあった本ってなんだろうと考えるにあたって思い出したので記録)

 

なんかね、彼女、麻衣子が抜群にいいんですよ。ふわふわしてて空っぽなの。だから相手の写し鏡みたいに、求められるものにスイッチできちゃって、でも自分のことは何も決められない――違うか、自傷しすぎて自分がなくなっちゃってるのか。

登場人物ほとんど、生まれ持った名前でも顔でもないんですよ。で、もれなく過去に縛られてる。自分の身体を人にゆだねる、物理的に、相手ばかり見て自分の内側から目を背けてるから、どんどん沈んでいってしまうんですけど、それでも生きていくしかないんですよね。だって神様なんかいないから。でも、神様なんかいないけど、人と人との偶然の気まぐれで人生変わっちゃったりする。

私山本さんが一人で生きていかなきゃならなくなった(生きていけることになっちゃった)場面好きなんですすごく。そこに葉山さんは関わらないから、二人の道はこれ以上交わらないの。

同じように、ここが人生の岐路だと、この出会いで局面変わるぞって予感があったとしても絶対そこに飛び込まなきゃいけない決まりはないし、契機が過ぎ去るのをそこで黙って見送ってもいい。自分の人生なので。自由でしょ、自分で決められる。最後の終わり方もすごく好きです。

だから、その先の道に消えるだよなあと思ったりしました。

 

つかみどころなくて、ばちこーんってはまった感じもしないんだけど、全部わかんなくていいしこの空気感大好きって思って元気になれたらそれでいいよって中村さん言ってくれてる気がして、だから好きなんだろうなあと思います。たぶん読後こんな穏やかな気持ちになれる作家さん、中村さんくらいかも。

綿矢りささんの著作は毎度読むたび、笑えてくるんですもん。「こん人またやりおったわ」って、素晴らしすぎてハレバレした気持ちになって笑えてくる。ちょっと元気になったらまた綿矢さん読もう~~。

 

※こっからSixTONESの話※

 

中村さんが救いなら伊坂さんは正義と幸福で~~とかなんとなく考えてたら「じゃあSixTONESのメンバーは?」となったので考えてみたら面白かったのでメモで残しておく。

 

妄想はなはだしいし人を二文字とか概念で当てはめるなって話なのでこれはマジのマジでただのとんちんかんなお遊び。

 

MIU404でも正義についてめちゃくちゃ語られてましたけど、私はSixTONESの人間的なずるさがどうしようもなく好きなので、いつまでも泥臭くあれよと願ってしまいます。

 

なんていうかタナカサンもたろぴもずるい男な感じがたまらんです私は。

ずるいの意味はそれぞれ違うんですけども。

たろぴは、何を押しても自分の気持ちに生きようとするところが、周りを巻き込んでもその理由に正直や素直があるなら許されると思ってそうな傲慢さが、それを許されてしまう恵まれた星のもと生まれた感じが(まあ実際は全然そんなことないんでしょうけど)ずるいです。なんか親しき仲にも礼儀ありって言葉大好きそうなのに身内にはガッバガバになるたろぴサイコーっすよね。

タナカサンは自分の心を偽ってでも社会的正しさに自分を当てはめようとして当てはめられちゃう器用な不器用さが大変わかりやすく、ある一定の層をしんそこ惚れさせてしまうので。そうやって彼が社会通念的に誰も悲しませないように無理して選んだ選択が、結果的に社会というか彼の周りの人の幸せには繋がらない感じがして、それでもかたくなに正解であろう選択肢をとらない彼を、皆結局は彼らしいと言って許しそうなのでずるいです。

この世界線、いったい何が起こるんだよって感じですけど笑

とにかく田中さんと森本さんは「正しくあること」と「正直であること」にそれぞれ縛られてそうな感じが私はすごく好きです。

というか雑誌音楽と人読んだんですけどジュリさんのインタビュー内容あれはもうほんと尊敬。わかる、わかる気がする私も仕事でそういう経験めっちゃした、という気持ちになった。

 

どうでもいいんですけど、勝手なイメージなんですけど松村さん仏画好きとか言いつつ実際に数多く見てるのは邦画で単館系とか好きであの騒動ある前はアップルリンクとか時々行ってたのでは。(想像しただけ)監督縛りで映画見てそうだし、いつか奥山大史さんあたりとお仕事しそう。

 

あと少し前にジェシーくんの1万字インタビュー読んだので感想だけ置いとこう。

 

ジェシーさんは何かやりたいことがやれてないと枯れてしまう人なのかなと読んで思いました。読んでというか、読みながら彼がソロでやってたりますだりょうさん始めさまざまなJr.と組まされてた頃の顔つきを思い出して、そうか、あの位置は不本意だったのかと改めて思うなどしました。

なんか6人のくくりでやりだしてから顔つきも髪型も変わりましたもの。背中を預けられて、自分を信じてくれる仲間が欲しかった人なのかなこの人。そのためにこの世代の人たち結構振り回されててウケちゃう。これは神のいとし子にしか許されない所業だわ、と大変失礼なことを思うなどしました。

 

それからストは皆グループに自分がいることが(出自的に)マイナスになると思ってたんだなあ、引け目感じすぎとも思いました。スタートが自己否定から始まってるグループには当時見えなかったので、やっぱりこういう温度感はファンとしてみないと知らないものですね。当時の私は六本木かEXのバックの蓮音ちゃんに必死でした。

 

あと極めつけはジェシーくんの強情さ。(二世って言うのをやめなかったり、こちゆごのやつ松村さんに言ったり)もうひたすら感服。この意識的な無神経さ(相手が触れてほしくないところも、必要ならえぐっていく感じ)が許されるのは相当よ、というかジェシーだから許されるんだろうなと思いつつ。

相手が言われたくなさそうなことを察知して気遣って何も言わずにそばにいる、を他の5人はするタイプかなと思ってますが、そこにジェシーがいることでやっぱりかなり好循環してるんでしょうね。流れが停滞しないので。

と、勝手にいろいろ思うなどしましたとさ。

 

とにかく「音楽と人」めっちゃ良かったのでまだの人は買ってください。

 

 

マスカラは3形態手元に来たのでゆっくり楽しもうと思いますーー!

 

(実は蓮音くん、陽性になってから3週間音沙汰ないのでだんだん結構不安になってきて、それを紛らわそうという意味でブログ書き始めたのでした。ちょっと気が紛れてよかった)