絵に描いた餅だけ食べたかったけど今は棚からぼた餅でもいいと思ってる

節度を守らず書きたいことだけ。汚い感情も整理して書いておく自分のためのブログ。

「6年目」と口にするSixTONESについて、とか諸々。

※ストの話は後半デカ文字になった辺りからです※

 この前大好きな友だちの誕生日だったんですけど「あと何回お誕生日おめでとうって言えるだろう」って思ったら泣けてきちゃいました。

12歳で出会ってからずっと一緒だったのでもう人生の半分以上一緒なのかなあ。

(ずっと一緒というのは心の距離的な意味で寄り添ってきた感覚があるということ)

(実際は中1を最後にクラス一回も一緒にならなかった)

 

在学当時は放課後相手がクラスメイトと話してるの待ってたり(私は友だち少なかったのであんまり待たせることなかったけど、掃除当番のときは相手が廊下で待っててくれて、一緒に帰る15分が1日で一番うれしかった思い出)したなあ、と思い返しつつ、何年か前にその子は結婚したんですけど、感慨深かったなあ。

卒業して地方に行って毎日会えなくなっても私が東京帰ってくるタイミングでごはん行ってくれて、そのたびに付き合ってる人と同棲、プロポーズ、婚約って話を聞かせてくれたから思ったより衝撃は少なく済みまして。なんかものすごく寂しくて泣いちゃうと思ったんですよね、でも実際は違った。この人のそばにいてくれる人がいて、これからのこの人の人生はひとりきりじゃないんだなあと思ったらすごく安心してしまった。

(私は警察のお世話になる度に「自宅以外で安心できる場所はありますか」って聞かれて「ありません」って答えて場合によっては警察に泊めてもらったりした勢なので余計に、この人に安心できる場所があってすごくうれしいと思う)

*1

だって本当に大切な人だから。大人になってつらいことが増えても「何も聞かずにそばにいる」ってことをしてくれる人がいるのがどれだけ嬉しかったか。

学生の頃は私がこの人のこと一番知ってると思う!!って張り切ってプレゼントとか用意して渡してたんだけど、最近はもう何を贈ったら迷惑にならないのか、宅配は迷惑じゃないかとか、わからないことが増えて会ったときにごはんおごる、がパターンになっています。

そう、私もそうだし、相手もきっとそう。打ち明けない話が増えたし、会ってもあんまり話さないことだってある。けど、変わらず私は彼女が大好きで、この人にずっと心配しててほしいと思ってしまう。(ついこの前も貯金した方がいいと思うって言われて嬉しかった)

人間、見えない部分もあるけれど、それも全部ひっくるめて好きって思えるからいいよね、という人が私にもいます。というか比較的クズで心のガードが堅い方の人間なのでこの人いなくなったら私は誰にこの割と重たい執着を預ければいいのかわからない。

 

そんな大事な人がこの世から消えちゃう未来がいつか来る(それは私もそう)っていうのは自明の理なんですけど、なんか30を前にしてそれが身に迫って感じられてしんみりしてしまいます。そんな今日この頃。

 

あと、私はこの本アカウントとは別にリアルの知り合い用のアカウントがツイッターにあるのですが一時期10万一律給付になりそうみたいな報道でてたじゃないですか(実際そうなったけど)、そのときリア垢では「たった10万いらないよーその分税金増えるんでしょほんと勘弁(´;ω;`)」みたいな商社勢ツイートが散見され、医者や弁護士は沈黙を貫き、行政職はいつにもまして過労で死にそうになってて控えめに言って地獄であった。というか10万いらない人ほんとにいるんだ、と思い、アカウント(フォローしてる層)が違えばマジョリティも変わるか、そりゃそうだ、これが社会の分断か、と思ったりしました。

 自分が見ている世界がすべてではないと改めて肝に銘じなくては、と感じました。

 

こんないろいろ考えてしまうのは京本大我セットリスト作って聞いてるからかもしれん。。。

 

 

あのきょもブログのセットリストの記事読んだんですけど、この人本当に音楽が大好きで、音楽に救われた経験があって、音楽を通して人や社会と繋がってきた人なんだなと思ってじんわりしてしまった。

いや、雑誌でご本人がさんざんお話されてるけど、自分のなかで急に身に迫って感じられたというか。

きっと京本さんは、私が本を大好きで、本に救われて、本のおかげで生きてると思うのと同じような温度で音楽の力を信じていて、音楽のこと考えているのが楽しいんだなと思えたんですよね。

だってセットリストのラインナップ、本当に多岐にわたってるので(年代も含めて)。これはめちゃくちゃ好きな人じゃないと浮かばないやつでしょ。本好きが伊坂幸太郎さんと松村涼哉さん並べて平然とした顔するのと同じ雰囲気でしょこれ。(並べた人的には共通項があるのだが、はたからみるとキャリアが違いすぎて「なぜ?」ってなるやつ)

ツールは違うけど根っこの気持ち(これが好き!という熱量)は似てるのかもと思えたらなんか世界が広がりました。

これまで私はなんて見かけばかりにこだわって矮小な人間だったのだろうと反省。

目に見えないけどここにある熱いものが似ているから人は人を好きになるんでしょう(これは関ジャニ∞の歌だけど)

 

 ていうか私この前ついにタクシー解禁してしまったのですが道沿いに「とまと館」ってお店見つけたよ、京本さんを思い出したよ、本当に5月入ってからさらに福利厚生が手厚い毎日でめちゃくちゃ有り難いです。

 

そう、SixTONESさん5月1日が結成日でした~~~!!!

 

私がストを気になりだしてから初めての5月なのですが、こんなに結成日にこだわるグループも珍しいし、デビューしたばかりでそちらをフォーカスしてもいい気がするのに皆示し合わせたように「6年目」って口にするのがすごいなあと思いました。

 

なんていうか、この人たちとファンの方々にとってデビューって本当に通過点だったんだなと実感しました。

デビューがゴールじゃない、はよく耳にする言葉なんですけど初めてそれを体感したかもしれない。

 

私が「デビュー」と聞いて頭に思い浮かぶのはHey!Say!JUMPの時のお通夜のような雰囲気と、ジャニーズWEST日生劇場初日です。

(それ以外のデビューは正直、冷静に語れないので置いておく。セクゾからのセクバからのセクシーファミリーの時期はほんと早く上が抜けろと思ってた。自担がバックのバックだったので。上が抜けて早く場所をこっち世代に明け渡せと思っていた。なりふり構わない醜いオタクだったので)

前者のデビューは本当に感情の行き所が見つけられなかった。自分の中でどの気持ちを正解で取っておいたらいいのかわからなくて沈黙を貫いた思い出。

後者は祈るような気持ち、異様な熱量の日生で幕が開いて、7人と言われたときの熱狂、幕間のロビーに響く電話の声(もれなく皆関西弁)、ボルテージは最高潮、デビュー時点で最高の物語を作り上げてしまったWESTすごいな、と思った思い出。(そして部外者が観劇してて本当にごめんと思った)

この日じゅんたくんは「ここがゴールじゃないですよ、ここからがまたスタートです」と言いました。

感覚の話ですがあのとき、たしかにデビューはゴールで一つの節目でした。

そしてデビュー発表は起爆剤でした。

 

それから何年か経って、私が気になったグループはなぜかデビューしたのにひたすら謙虚で天狗のての字もないし嬉しさ爆発!みたいな感じもなかった。

どころかジャニーズJr.としてコメントを求められると途端に目に力が宿る。

(「Jr.だからできることを追求していきたい」って話す彼ら(RIDE ON TIME)は自信に満ち溢れていて、頼もしくてキラキラしていた。)

この人たちはとても臆病で、だからこそ下準備に手を抜かないタイプで、新しい環境には大手を振るって飛び込めない方かもしれない。

自分のためより誰かのために頑張れて、背中を押してもらえたら勇気100%で、1回失敗したくらいじゃへこたれない、粘り強く頑張る姿勢を見せてくれるアイドルかもしれない。

こんなん応援したくなるにきまってる。

というか本当にすとーんずのブログ、邪気というかひっかかるポイントがなくてこの人たちどんだけ普段から発言に気を付けて生きてるの、という気持ちになる(※過去は水に流しています)

いろんなことを敏感に察知して考え込んでしまうこともあるかもしれないけど、いつも楽しそうに仕事してる。こんな後輩職場にいたら頼もしい以外の何者でもないのだが?

「こうなりたい」「こんな仕事したい」はあるけど、大前提としてこの会社で生きていくみたいな意識があって、どんな仕事でも嫌がらずに真摯に取り組んで技能を蓄えていく(しかも対人関係もなんだかんだ卒がない)って、これは管理職まっしぐらのやつ、知ってる、早めにチームとか任されるやつ。

 

「卒業したかったけど大切だった」って何回でも見たいのではやく円盤出してください・・・買いますので・・・。

 

話が逸れてしまった。

いや、この人たちデビュー1年目です!キラキラ!みたいな感じないんですよね。

パフォーマンスはもうデビュー3年目(グループとしてのコンセプトがはっきりしていて、たたき上げのスタッフと一緒に作品を作れるであろう一番楽しい時期)な感じだし、これがあと2年経ったらまた雰囲気変わる(きっとこんな世界観はっきりしたライブじゃなくなってる気がする)(海賊帆しかり、8UPPERSしかり)から、そういう変化も含めてこれからを楽しんでいきたいなあと思うのではやくライブに行きたいなあ。

 

で、さっきWESTの話をしましたけど、彼らにとっての、ファンにとっての運命の日はあの日生だったと思うんです。それで、SixTONESにとっての運命の日はあのクリエだったのかな、と思います。それなら1月22日ではなく5月1日にこだわるのも、「1年目」ではなく「6年目」と言うのも腑に落ちます。

そういえばデビューで形が変わらなかったグループってだいぶ久しぶりですもんね。

皆で舵を切った日が5年前の5月なら、そりゃあとっても大事(しかも年齢的に青春まっさかり)(待って、同じ高校の先輩後輩同輩だった頃の空気をまだまとってた時期ですよね、やばいなあ)だろう、理解理解、という気持ち。

 

今更ですが映画少年たち見ました

 

ジャニーズとんちきワールド大好きって思うと同時にきょもの運命解釈違いです~~~~~今すぐその展開を撤回してください~~~ってなった。(たぶん公開当時の周辺担皆さん思ってたんだろう)

なんというか、ジャニーさんって本当に世界平和を希求していて、それから人にはいろんな事情があるんだよ(でも、全部をわかろうとしなくてもいいし、わかりあえなくてもそばにいられるんだよ)って若い世代に伝えたかった人なのかな、としんみりしてしまった。

だって無戸籍の話がサラッと出てくるってすごいぞ?

 

僕が僕をやめる日 (メディアワークス文庫)

僕が僕をやめる日 (メディアワークス文庫)

  • 作者:松村 涼哉
  • 発売日: 2019/11/22
  • メディア: 文庫
 

 無戸籍の主人公が出てくる青春エンタメ小説です。

 

松村さんは文学ではなくその時代の未来の大人たちにこそ届いてほしい、という思いで物語の力を信じてペンを取っている方なのかな、と思ったりします。

(出身校は存じませんが、言葉は剣よりも強しの精神もってそう)

(この前現役のペンは剣よりも強し、通称ペン剣生の体育祭中止に伴う声明を読みました。ペン剣は学年ごとにオオカミの群れみたいなイメージ※完全な階級社会だからこそ統率とれてて誇りもある感じが勝手な偏見ってわかってるんだけど今もぬぐえない。ずっと戦ってる感じがしてすごい学校だわ、と思ってた)

ひたすら重くえぐくできる話をサラッとした語り口で持ってくるのは「少年たち」と一緒かも。

 

日々生活していて思うのは、

きっと血は水よりも濃いし、(育ちの違いは仲が良いからこそ浮彫になることがある)

人は生まれながらにして不平等、

相互理解など存在しないし、

この世は善悪のものさしで語れない。

けど

たとえ水でもあれば嬉しいし、(私は友だちに何回も助けられた)

努力することは誰にでも可能で、人はわかり合えなくても一緒にいられる。

そしてどんな信念も悪ではないから、生きるって面白いんだろうなあと思います。

 

こちゆごに労わられたいから明日も仕事頑張る!!

以上、目には見えない大切っぽいものの話でした(ざっくりまとめた!!)

 

*1:(どうでもいいんだけど、昨日夢で久しぶりにトラウマ案件が出てきて待ち伏せからのナイフ登場とかしてほんと怖くて、でも「こわい夢を見たんだ」って伝える相手が私にはいなくて、でもひとりでなんとか自分の機嫌を取れたから自分にはなまる満点あげた)